感性論哲学ノート


01  宇宙の究極の原理は、感性である。

02  その感性を求めるものは、求感性である。

03  全存在は、対存在の原理に基き存在している。

04  対存在の原理は、精神作用にも働き、それは両儀性の原理と言う。

05  感性は動的平衡作用であり、調和作用、合理作用、統合作用の3作用として働いている。

06  命は、感性の3作用の相乗効果によって生み出されたものである。

07  生物には、すべて2大基本欲求がある。自己保存の欲求と種族保存の欲求である。

08  人間においては、自己保存の欲求が理性化して、意志となった。種族保存の欲求が理性化して、愛となった。

09  人生は、意志と愛のドラマである。

10  人間の3要素とは、「感性、理性、肉体」のことである。

11  感性が問い、理性が答える。

12  哲学とは、問いと答えの問答である。

13  自らに問うべき3つの問い

14  哲学の4つの問い

15  人生における3つの問い

16  人間存在の3つの問い

17  本物の人間になるための3つの問い

18  人間は、不完全な存在である。

19  不完全な人間がつくったものもまた、不完全なものである。

20  これからの時代の人間性をつくるための6つの問い

21  よい人間関係をつくるための5つの問い

22 悪化した人間関係を修復するための5つの問い

23  人格は3次元構造で成り立っている。高さ、深さ、大きさ。

24  天分を見つける4つの問い

25  人間成長の原理とは、気づきの積み重ねと潜在能力顕現の努力である。

26  人生の鉄則5

27  使命の見つけ方

28  問題とは

29  創造力のつくり方

30  夫婦の愛の10ヶ条

31  感性論哲学的歴史観10の原則

32  時流独創の精神
  時流独創の経営

33  感性経営10の原則

34  感性型リーダーシップ10の条件

35 感性型フォロワーシップ10の条件

36  脱近代の理念

37 境涯論

38  対立とは

39  人間性と人間力

40 平和

41  考え方ではなく、感じ方が人間を決定する。

42  哲学は時代を興す原理である。

43  真理よりも真実を!

44  哲学的に考えるとは、根元的に考える事であり、哲学とは根元への思考であり、同時に根元からの思考である。

45  世界は、事実と意味から成り立っている。

46  知識を持っているものにとって、最も大切なものは、それを実践的創造的な活動に応用し、転化する思考力である。

47 物質と精神は、感性によって媒介されることにより、初めて互いに関係を持つことができ得るものである。

48  感性とは何か。現実に即して言えば、それは人間である。人間の本質である。自我である。

49  現実の中から生み出される思考だけが、現代をリードし、現実の難問に答え、多くの人々を満足させる思想となることができるのである。

50  哲学者とは、自分自身の考え方を対象化して反省する事ができ、決して権威に頼らず、常に自ら生み出した確信ある判断や行為を、主体的に行う者の事である。

51  一般にわれわれは、常識で考えている。しかし、哲学は、常識を考える。

52  感じるという事は、正しく論理的でもなく、継起的でもない、理屈抜きの世界であって、その限りにおいて、全体同時に現前の明証性を持つものであると言って差し支えない。だから直感は、シーにおける能力であると言うよりは、むしろ、その本質を感性の中に持っている能力であると考えた方が自然である。

53 思惟するとは、感性における真実の書物を読み取る事である。

54  記憶とは、感性的なものである。だから、感性の関心の強弱が記憶の強弱に比例する。

55  芸術とは、日常的な現象の中から本質をえぐり出して、それを象徴的に表現する事である。

56  実現された真実とは、事実性と激しい真理性と感性的実質との、感性における全き統一である。

57  哲学は、意味を問う。学問である。

58  意味は関心によって呼び起こされる。意味とは関係である。関心とは、能動的な心の働きであり、感性における直感の能力において発現する作用である。

59  我々はすべて、混沌たる意味世界の中に、関係あるものとして生まれて来、そして無意識の内にも、関係を持って生きている存在である。それ故に我々は、無意識の内に根元的に意味づけられているのである。われわれは意味の大海の中に、意味を持って生きているのである。生きるとは、このように、根元的に意味付けられていると言うことの意味を自覚する事である。使命とは、この意味の自覚から出発するのである。何らの関係なしに存在しているものは、この世界の中に何一つ存在しない。すべてのものは、意味と使命を持って存在しているのである。

60  関心の強弱が、意味の濃淡に比例する。我々は、練習混沌たる意味の宇宙の中にあって、感性的関係を通じて、次第に一つ一つの意味を浮き彫りにしていくのである。この過程は、意味の発見であると同時に、全く新なる意味世界の創造でもある。

61  哲学するとは、すべてのものに意味を与える事である。

62  意味の創造は生きがいの創造である。

63  我々は、人間に生まれてくるのではなく、生まれてから後天的に人間になるのである。

64  生きるとは、潜在的なるものを顕在化する事、可能的なるものを実現する事、内的なるものを外化する事、すなわち、本質の現象化、一般的に言って自己実現の作用である。

65  生は全体であり、思惟はその部分である。

66  感性が真実の世界であり、思惟が真理の世界であるとすれば、身体は事実の世界である。

67 感性そのものは、常に現実であり、持続的な作用であることによって、時間そのものである。

68  理性の本質は、抽象作用である。思惟するとは抽象するという事である。

69  理性は認識と判断の能力であって、実践の能力ではない。行為する主体は感性であり、「私」である。「私」が、現実的な感性・実現された感性である身体を統一して動かすのであり、その実践への原動力は感性における欲求である。

70  主体である感性、手段である理性。

71  存在しているもので、存在するようになったものは、全て存在への必然性と、存在していると言うことの意味と価値を持っているのである。

72  存在しているという事は、意味を持っているという事である。意味を持っていると言う事は、存在しているという事である。精神的な存在であれ、物質的な存在であれ、感性の対象となるものが存在である。

73  なぜ我々は勉強をしなければならないのか。なぜわれわれは努力をするのか。それは人間らしく生きるためであり、人間としてより良く生きたいと思うからである。だから、勉強をしようとしない人、考えようとしない人は、人間らしく生きる権利を自ら放棄した人であり、日々の努力を惜しむ人は、人間としてよりよく生きると言う希望を自ら捨てた人である。

74  意味や価値は、関係概念であり、見出していくもの、創造していくものである。

75  生きがいとは、生命の本質を実現する事である。

76  一個人である私の中に、すでに人類が、社会が、人類が歴史性として重々しく存在しているのである。

77  愛とは、広い意味において関心を持つ事であり、関係を持とうとする事である。

78  不完全なる人間の行為における責任と、善意の証しは、謝罪のみである。

79  不完全なる人間の行為における責任と、善意の証は、謝罪のみである。

80  人生を生きるに値するものにしていく事、生きがいを創り出す事が理性の仕事である。

81  人間の目的は、人間性の体系を実現する事であり、人間らしい人間になる事である。すなわち人格の完成である。人間であると言う角を持つことである。

82  人間は、信じる事によって生きているのである。

83  宇宙や空間は、感性の海である。

84  感性は、人間という生命において、肉体的かつ精神的な存在であり、肉体と精神の統一としての身体性の本質を成すものであった。これは同時に、感性が時間的かつ空間的なる存在であり、時間と空間を統一する存在であると言うことを意味している。

85  世界は休みなく動いているのである。持続する時間そのものを本質とする現象的空間の総体、これが世界である。

86  あらゆる存在は、存在への必然の上に立って存在しており、相互に補足的な個性的存在として、全体を有機的に構成するすべきものであると考えるのである。それゆえに、あらゆる存在は、その有機性と存在への必然性を支える共通の根を持つことになり、根元的に、既に統一されて体系性を持って存在しているということができるのである。この根元的統一としての現実把握が、感性論哲学における世界の空間的構造を意味するものである。

87  あらゆる存在及び世界を貫いている、よりよく生とする時間的意志、この感性の本質を形成しているエネルギーが、世界においても、あらゆる存在者においても、自己実現の力となって湧出することにより、有機的体系を構成する全体世界を有機的に前進させるのである。

88  歴史的現実は、人生と同じく、模索と創造のプロセスである。

89  原理的に言えば、現実を真に動かし得るものは、生命の二大目的に根拠を持つような感性的実質を、生命の二大目的に矛盾しないような形式によって把握した創造的真実のみであると言うことができる。

90  歴史を動かすような世界感情や世界欲求は、世界の統一の乱れ、世界の調和の崩れ、世界の合理性の喪失が、経済的・政治的・文化的・社会的・軍事的等等の分野において、現れる事により、生命の二大目的が危険にさらされた結果、何とかそれを元の安定した状態に戻そうとして生じるエネルギーである。

91  実践するとは、時間と空間を選択することであり、現実的には何かをとり、何かを捨てる事を意味している。

92  近世の課題は、神から人間を解放することであったが、現代の課題は、理性から人間を解放する事である。

93  哲学の門は、誰にでも常に開かれているのである。哲学の門をくぐるということは誰でも日常している事を、ただ自覚的に意識して見つめさえすればよいのである。

94  人間の目的は幸福になると言う事ではない。人間の目的は、人間の本質を実現する事であり、人間を生きる事である。人間と言う可能的な存在を、具体的に現実において実現された人間性を持つ存在に完成する事である。

95  仕事というものは、埋もれていて、目に見えない人間性と言うものを顕現させ、具体的に実現するものなのである。自分のした仕事の結果が、自分にとって気に入らない時は、その仕事は人間性を実現し切っていないのである。また、自分のした行為が相手に気に入られた時は、それが人間性にかなっていたのであり、気に入られなかった時は、自分も不快であるが、とにかく人間性にかなっていなかったのである。このようにして仕事がうまくいくようにすることを通して、人間は生きていけるのであるが、このプロセスー仕事がうまくいくようにするということ、ここに人間性が実現され、人間が人間となると言う目的が達成されているのである。

96  幸福は幸福を求めて得られるものではない。幸福という心、真の満足は、人間が人間を生きたという事実、充実感の単なる結果として心に訪れるものに過ぎない。幸福と言うものは、具体的には存在しないのである。自他ともに満足のいく仕事をすると言う姿勢、そこにこそ人間性は開花し、真の幸福が訪れるのである。

97  生きるとは信じることである。我々は判断したり、認識したり、意識したり愛したりする以前に、感性において感じるのである。

98 哲学的な原理において対立するという事は、その立場が未だ主観的であって、真に世界の全体を支え得るだけの究極的根源的原理にはなっていないという事なのである。

99  最初は感じ方が考え方を規定する。次に自覚的な考え方が感じ方に影響を与える。人間的な行為は、この自覚的な考え方と感じ方の具体的な統一、合一としての、意思と直感において実現されねばならないものである。しかし、行為を最終的に規定し、行為の主体的中核を為すものは自我としての感性であり、感じ方である。だから、感じ方を人間的なるものにする事、また「真実」や「誠」を体現した人間的な感じ方ができるようになる事が、人間の目標であり、教育の目的もこの点に置かれればならないのである。

100  哲学の大切さは、常に「これでいいのか」と、自問自答する心の誠実さにある。

 

101  人間は一人では人間になれない。だから、人間性と言う理念・言葉・あるいは実在する人間性の中には、複数の実在する人間が意味として含まれていなければならない。人間性を持つという事は、複数の人間の共存と協力を前提する事であり、基本的に「お互いを尊重し合う心を常に持つ事」でなければならない。

102  人類は自然に属するが、人間は創造的芸術である。自分をも他人を芸術品として見、育てる事が人間性をより高めることになる。

103  真の和合は、単なる考え方を共有することによっては生まれない。心からの和合は、感じ方を共有することによって初めて実現されるのである。なぜなら、感じ方の合一は、感性と感性との、自我と自我との合一であり、本質からの和合を意味するが、単なる思想上の合意は、形式的かつ手段としての理性に本質を置く抽象的な合意であって、第二次的な「上部」だけの和合という性質を持つものであるからである。

104  感情は次の2種類に大別することができる。すなわち、喜びや悲しみ等のただ単に状況に対応した気分や状態性を表現するだけの「状況感情」と、不安や空腹のように理性に課題を提起して問題の解決を迫る「課題感情」とである。

105  安心と不安は、両方共に人間の理性能力に基づいて生じる人間における本質的で、基本的な、人間を動かす根本感情であると結論されることになるのである。

106  根元的統一の論理学においては、まず、すべての存在は、本質的なものの現象であるから、存在は、すべて、その内に存在することへの必然性を持って現れ、出てきていると考える。だから、この意味において、すべての現象的存在は、常に、本質との関係において、論理的整合性を保っているから、いかなる存在も、本質との関係においては、矛盾した現象は存在しないことになる。

107  そこで、このような社会不安から我々が脱却する道は、弁証法の否定と、哲学的な意識革命をおいて、他にはない。すなわち、相反する存在理由や、相反する主張を持って存在している両者を、現象世界における矛盾的関係として把握するのではなく、本質との関係から、両者ともに必然的であり、無くすことのできない関係であると、視点を変えて捉え直すのである。また、両者を対立的関係にあると考えるのではなく、共に互いの足らざる所を補い合う共存的で補完的関係にあると考え直すのである。

108  いかなる場合にも、融和的感情を持って、人間同士向かい合うことが、哲学的論理において正しい現実理解であり、正しい倫理的要請であると言うことが、十分に納得され、対立は恥であり、罪であると言う思想が定着すれば、本当は解決の困難な問題までも、解決へと動き出すことになるのである。この意味で、根元的統一の論理は、平和の論理であると言うことができる。

109  自覚的な発展成長にあたっては、決して自己否定をするという意識ではなく、自らに足らざるものを、自らに付け加える事によって、自らの内容をより豊かにしていくと言う、積み重ね的な思考をしなければならない。

110  我々は歴史を、「^積み重ね」として理解し、過去は現在を生み出すために必要不可欠な土台として評価しなければならないのである。時間と言うものは、決して、流れ去ってしまうものではなく、一瞬一瞬、空間化され、現実に存在する空間の中に堆積し、蓄積されていくものなのである。

111  感性能力の自覚的使用と自覚的開発と自覚的展開によって表現され実現される世界こそ、人間が究極的に求める真実であろうと思われるし、理性文明に変わる新しい人間性を、人間に切り開く、「感性文明」を意味するものであると信じる。

112  現実の世界は、決して、矛盾を許さない、合理的なるものとして存在しているのではなく、むしろ、矛盾を含んで、全体的調和を保って生きている存在であり、矛盾をなくそうとする事は、世界を殺すことなのである。

113  人間にとって、生まれながらに与えられている自然的な権利とは、可能性なのである。人類として生まれるのは自然であるが、人間に成るのは人間の仕事である。可能性を本質とする人間においては、人間という概念は1つの理念でなければならない。人格は、決して、生まれながらに平等なのではないのであって、人間としての格を持った人間になるためには、それだけの努力をしなければならないのである。

114  感性は、あらゆる意味で、根元的統合と根元的統一の力であり、同時に、根元的創造の力でもあるのである。人間的活動の結果、現象世界に生み出された、すべてのものは、感性が、自らの中から、自ら生み出した現象的存在であるが故に、感性は、すべてのものを根源的に統合統一する力を、原理的に備えているのである。

115  感性の時代の哲学は、感性的実感において、納得を形成することを、最終目標として思索しなければならない。

116  理性は嘘をつくことができるが、感性は嘘をつくことができない。

117  理性は、真理と言う仮象を創り出すが、真実は常に感性の中にのみ存在する。その真実の現象が感動である。だから、我々は感動の中に真実を求めねばならない。

118  感動の本質は、意志と愛である。我々は、不屈の意志に感動し、深い愛に感動するのである。意志と愛はなぜに人間を感動させるのか。それは、意志と愛こそ、人間の実質的本質であり、人間生命の本質であるからであり、意志と愛を貫き通し実現する事は、生命の本質を実現することになるからである。生命の本質を実現するから、我々人間は理屈抜きに感動するのである。

119  愛の世界は、親子の愛を縦軸とし、男女の愛を横軸として、その骨格が形成されている。意志の世界は、自我(人類の意志)を縦軸とし、職業(社会的使命)を横軸として、その骨格は成り立っている。この意志と愛を共に実現することが、人生の目的である。そして、人間生命の本質である意志と愛を、努力して実現せんとするところに、生きがいもまた生まれるのである。

120  人類が欲望を共有するのではなく、人間としてあるべき姿を示す理念を共有し、それに導かれて、人類が助け合って、生きようとする所に、初めて真剣な「哲学技術」の自覚的開発が可能になると信じる。

121  哲学は本質への学であると同時に、より多く理念への学でなければならない。

122  和道と悟道

123  道義と敬愛

124  現実への異和感

125  謙虚な理性を持つ事、理性能力の不完全性を認める事は、世界平和の根本的な原理であります。

126  納得の論理と発展的解消の論理

127  知恵は遺伝子から湧いてくる。遺伝子は生命の知恵の結晶である。

128 知恵は、欲求・興味・関心・悩み・苦しみが湧いてくるルートから出てくる。

129  勝つことよりも、力を合わせること

 

130  愛と対話とパートナーシップ

131  ①「偏見をなくそう」という考え方から「偏見はなくならないし、誰でも持っている」ということを強く自覚していけることが大切。②「我を捨てましょう」という考え方から「我を捨てれば人間ではない」という考え方へ。自分の中に我があることを自覚し、その我を「小我から大我」へと成長させる。③「物欲を捨てろ」から「物欲を人間的な品格なるものにしよう」「物欲は人間が肉体を持っているからなくならない」ヘ。物欲が歴史や文化を作ってきた。④「足るを知れ」ば発展しない。科学技術をますます発展させ、環境破壊ではなく、環境を守り補修するようなリサイクルシステムを創る必要がある。⑤「短所なを無くせ」から「短所は無くさず、長所を伸ばし、短所を持っていることを自覚せよ」へ。短所はなくそうと思ってもなくならない。

132  感性の3作用と真善美

133  因果率と自由率